法被と半纏は同じもの?法被と半纏の違い
日本の伝統的な衣装の中に「法被(はっぴ)」と「半纏(はんてん)」があります。
法被とは、「はふひ(法被)」もしくは「はんぴ(半臂)」が音変化した言葉と言われています。
半被と表記することもあり、法被も半被はどちらも「はっぴ」と読みます。
半纏は「はんてん」と読み、他にも「絆纏」、「半纏」、「半天」、「袢天」、「袢纏」と様々な漢字のパターンがあります。
この半纏、用途によって種類が多様で、印半纏、綿入り半纏、蝙蝠半纏、ねんねこ半纏などがあります。
この二つは、似たような見た目を持ち、混同されがちです。
では、どのような違いがあるのでしょう。
今回は、この法被と半纏の違いについて、詳しくご紹介していきたいと思います。
法被と半纏、何が違う?
法被と半纏、呼び方は違いますが、実はまったく同じものを指す言葉なのです。
法被と聞くと、お祭りやイベントに参加している人が着ているあの賑やかな上着をイメージすると思います。
対して、半纏と聞くと、こたつに入るときに着るような綿の入った防寒着を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
この防寒着としての半纏は、正式には「綿入り半纏」と言い、半纏のうちの一つの種類を指しています。
法被と半纏、この二つはどちらもお祭りでよく見かける袖の短い上着を意味する言葉です。
このお祭りで着る半纏を綿入り半纏と区別して、印半纏と呼ぶこともあります。
お店では、「法被・半纏」のように、どちらの名前も並記されて売られていることも多いです。
もしどちらかの記載しかなかったとしても、法被と半纏は同じものを指すと知っていれば、いざ購入するときに悩むことがなくスムーズに選ぶことができるでしょう。
呼び方が違うため、法被と半纏は違うものを指す言葉なのかと疑問に思っていた人もいるかもしれません。
しかし、呼び方が違っていても同じものを指す言葉は珍しくはありません。
地域や年代によって、言葉というのは変化するものだからです。
例えるのであれば「カタツムリ」と「でんでんむし」のようなもので、呼び名は違っていても同じものを指す言葉は身近なところにもたくさん存在しています。
呼び方に地域差は?
法被と半纏、どうしてこのような呼び方の違いが生まれたのでしょうか。
まず、思いつくのは、地域差ではないかという観点です。
一説によると、山車を引く地域では法被、お神輿を担ぐ地域では半纏と呼ぶ風習があるそうです。
神輿とは、人々が担ぎ棒を肩に担ぐものであり、山車とは、人々が引き綱を引っ張るものです。
共に神事に神様を乗せるものという共通点がありますが、この違いにより法被と半纏の呼び名にも違いがあるいうのは面白いですね。
ただ、このように祭りの文化によって呼び方が変わるという場合もあるようですが、同じ地域であっても人によってどちらの呼び名を使っているか異なる場合もあり、完全な地域差とも言えないようです。
法被と半纏という二つの呼び名が生まれたその理由。
それは法被と半纏が生まれたとされる江戸時代まで遡ります。
法被と半纏の歴史
法被と半纏は共に江戸時代に生まれたとされています。
しかし、江戸時代で生まれた当初、現在とは異なり、法被と半纏はまったく別のものを指す言葉だったのです。
まず、法被はお祭りで着るものではなく、身分の高い武士が着るための羽織として生まれました。背中に家紋を入れ、衿をスーツの背広ように折り返して着ることで、武士としての威厳を出すものとして好まれていました。
それとは別に庶民の間で生まれたのが、半纏です。
元々は庶民の防寒着として生まれ、その名残として、綿を入れた綿入り半纏が現在も冬の防寒着として親しまれています。
では、全く別の場所、用途で生まれた「法被」と「半纏」がなぜ同じものを指すようになったのでしょうか。
庶民にとって、格好良く法被という羽織を着こなす武士たちは強い関心の対象であり、憧れの的でした。
同じものを着たいという気持ちから、やがて町人や商人たちは武士の法被を真似て着るようになります。
背中に家紋を入れた武士の法被に対して、背中に屋号などを入れ、仕事着として取り入れたのです。
こうして、次第に武士だけでなく町人や商人などの庶民の間でも法被が普及していきました。
しかし、徳川幕府は身分の差を明確にするという意図から、庶民の法被の着用を禁止してしまいます。
法被は、庶民が着るべきではないと正式に定めたのです。
この法により、困ったのは庶民たちです。
どうしても法被を着たい、そう思った庶民は頭を捻って考えたに違いありません。
そして、知恵を絞った結果、庶民たちは一つの考えにたどり着きます。
武士が着る法被のように襟を折り返さず、衿を立てて着用することで、「これは法被ではなく、半纏です」と言い張ることにしたのです。
元々半纏は庶民の間で広がったものですから、半纏であれば問題がありません。
そうして法被の見た目にそっくりな半纏は印半纏とも呼ばれ、庶民の間で大流行しました。
それがきっかけで、現在にも続くお祭りなどの行事や消防団員の制服としても着用されるようになりました。
こうして、武士の法被と庶民の法被を真似た半纏、見た目はほとんど変わらないこの二つを法被と呼んだり、半纏と呼んだり、呼び分けることになったわけです。
とてもややこしいこと、この上ありません。
その結果、江戸の中期のあたりでは呼び方が入り混じり、どちらがどちらなのかだんだんと曖昧になっていったそうです。
江戸時代の後期には既に混同されていたという説もあります。
そうした経緯を経て、現代では法被と半纏は同じものを指す言葉として、定着しているのです。
まとめ
法被と半纏は、法被は武士の羽織として、半纏は庶民の防寒着として、それぞれ江戸時代に生まれました。
しかし、次第に同じものとして扱われるようになり、現代ではほとんど同じものを指す言葉として定着しています。
お店で法被と書いてあっても、半纏と書いてあっても、どちらも同じものですので、安心してお気に入りの一着を選んでみてください。
法被(はっぴ) | 半纏(はんてん) | |
---|---|---|
生まれた経緯 | 武士が着るための羽織として生まれた。背中に家紋を入れ、衿を折り返して着ていた。 | 庶民が着るための防寒着として生まれた。綿入り半纏もその一つ。 |
時代による変化 | 身分を明確にするため、武士のみにしか着用を許されない法ができた。 | 法被に憧れた庶民の間で、衿を折り返さずに着る法被にそっくりな半纏が大流行した。 |
地域性による違い | 山車を引く地域では法被と呼ぶことがある。 | 神輿を担ぐ地域では半纏と呼ぶことがある。 |
法被ファクトリー編集部
昭和29年創業、名古屋の捺染工場が運営する法被ファクトリー。
法被のご購入をご検討中の方に向けて、法被にまつわる情報を発信しています。